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湖畔の歴史

湖畔の歴史のイメージ

松原湖周辺は日本古来の信仰のあった神仏混合の具現された土地でした。
寺院としては神光寺(明治の初めに廃寺)神宮寺(江戸時代初期に廃寺)があり、神社は諏方上社下社、さらに末社が明治のはじめには49社ありました。当時まで大伴神社もあり、この地方の信仰の聖地だったのではないかと思われます。したがって関連の史跡も大変多く残されています。
にしえのロマンを求めての松原湖周辺の散策はいかがですか?

松原湖は何時出来たか?
 松原湖は仁和3年〔887〕の天狗岳の水蒸気爆発によって出来た、 とも云われていますが、それ以前にあった湖が、八ヶ岳の崩落 によって現在の形になったとも言われています。

いずれにしま しても、松原湖が何時どのようにして出来たかは解明されてお りません。

1 鳥居
  寛政11年〔1799〕建立 

 

2 諏方神社上社 小海町文化財指定

 建御名方命、事代主命、下照毘売命を祀る、仏は普賢菩薩 です。下社と共にこの地方の支配者だった伴野氏の郷社とし て建立された上社は、神殿の宝霊に天慶2年〔939〕8月15日と あり、その後何度か焼失して現在の建物は本殿が明冶23年、 当時宮大工として知られた小林源三郎勝長によって造られ、 拝殿は昭和6年宮大工の富田清成によって造られました。本 殿の規模は間口5.54m、奥 行3.63mあって佐久地方最 大の規模であります。
また境内には文殊宮、道 祖神などの碑が多く建てら れています。

3 野ざらしの鐘  国重要文化財 小海町文化財指定

この鐘は鎌倉時代の弘安2年 〔1279〕に大井太郎光長が落合(佐久市)の新善光寺へ寄進したもので延徳元 〔 1489〕武田氏が佐久地方に乱入したときに、この鐘があった慈壽寺を焼いてこの梵鐘を持ち帰り松原神社へ寄進したと言われています。

その 後数度の火災にあい梵鐘を屋外に置いたのでこの名前がつき ました。この鐘は信州では最も古く鋳造年、製作者を知る事 が出きる極めて貴重な梵鐘であり、鐘の中央に飛天を配し美術品としても立派なものです。  

4 山宮 〔梅の宮〕

永禄4年(1561)伴野相模守建立と伝えられています。宝暦2年(1732) 天保6年〔1834〕再建遷宮

5 熊野権現宮

文明年間(1470)伴野貞際建立

6 弁天宮
 

嘉永4年〔1851〕10月弁天宮造 作 天井壇造り宮大工は野沢源蔵

弁天宮縁起によれば祭神は市杵島姫命が祀ってあり、畠山 重忠が夢の中に現れた貴婦人のお告げによって竜の生を
とることができ、後にこの貴婦人が母であることを知り、施 福延壽と諸々の災難苦悩を救うために建立したと言わます。

またこの社より北西に凡そ18mほど隔てた水中に7.4m四 方の大塚があり、晴天の日この 弁天島にてみすかせばこの大塚 が見えます。この大塚は大石を 三担に積み重ねてあり、これは 大伴神社の稜の塚だと言われて います。

日照りが続き干ばつに なった時、雨乞い祭りをこの社でする時に、氏子の者がこの塚の上に登り水を濁すとたちま ち黒雲おこり大雨が降ると言われていました。

かつては甲斐 の国巨摩郡あたりの百姓が雨乞いの祈念に参詣し神職が浮島 の社に祈念をすると、たとえ晴天でも大雨が降ったというこ とです。

7 畠山重忠母の墓
  

弁天島の北側にあり、湖水の 水が少ないとにきはその上部が 見られます。伝説によると重忠 の母が竜となり、その肝を重忠 の主君の頼朝にささげたところ、 頼朝の難病がたちどころに平癒 したという、その重忠の母の墓 だと言われています。 また古代の壬申の乱で敗れこの地に配流になった大伴の宿 禰の墓だとも言われています。

8 松尾芭蕉句碑
  

名月や池をめぐりて 夜もすがら 嘉永5年〔1852〕11月建立

9 岐神 九人道祖神

10 大弥太坂
  

何時頃付けられたかは分か りませんがこう呼んでいます。 また神社の境内をかなりはな れた所に小弥太坂がありま。

11 八幡社 
  石灯篭 寛延2年〔1749〕建立
  石灯篭 元文5年〔1739〕建立
 〔唐破風付四角灯篭〕

12 子安神社

13 血の池   

この池の水は、いつも赤色 をしています。これは畠山重 忠が竜を切ったときに刀を洗 っ くなったのだということです。

14 碑三基  
 

一 小林作吉 昭和7年建立 
           ななとせあとにすわやしろ 御軍の神とたたふ たつるみはしら  

二 小池葭州  
  83歳詠    朽ち龍と奈る御柱や阿し能角  

三 井出八井
  昭和39年歌友、門弟によって建立 
           鳥がなく 能ふもとの 美つうみの あかとき近く樹に鳥が鳴く  

神宮寺跡
  松原の寺社のなかで最も論議を呼 んでいるお寺で、古文書にも載って おり古絵図にもありながら、寺のあ った場所が確定されていません。 たぶんここにあったか?と思われる 場所がここです。

15 下社鳥居
  文政2年、大正9年5月再建

16 稲荷宮

17 天照皇大宮
  明和8年〔1771〕建立

18 諏方神社下社 小海町文化財指定
  

祭神は上社と同じ建御名方 命、事代主命、下照毘売命を 祀っています。仏は千手観音 です。当初の建立は上社と同じ天慶2年と言われています。

現在の社は安永3年〔1774〕に 再建され宮大工は小須田要右 衛門、新津源蔵と記されいます。

拝殿は白を下地に赤、緑、黒の極彩色で、寛政11年 (1799)に書かれた松原往来には

『その景色は湖水波静か、漁 夫船を促し山色錦の如し、啼鳥枝に吟じ金銀珠玉をちりばめ 善美をつくし、武田の願い書、陣鐘あり、其の他宝物数多し ーーその有り様は筆紙に述べがたし』

とあり、当時の道は下 社の鳥居の所に出たので、坂道を上がりきったとたん下社の 建物をみて松原往来のような記述になったものだろうと思わ れます。

境内の御神燈 元治2年〔1865〕3月建立 手水鉢(箱型) 正徳4 年〔1714〕造。 石造りの鳥居は大正9年建立、 その他の碑多い。

19 手水鉢

20 白山神宮歯の神 木造社

21 松原城跡
  

松原氏の名前が最初に見えるのが 『前太平記』で長元元年(1030)武州川 越の合戦で討ち死にをとげたくだり です。 

 その後戦国時代後期の佐久で は最も古いと見られる絵図に松原城 があり、所領は39貫文、松原、稲子、 八那池、馬流が領地として記されています。 

湖水の北西の 山上にあり堀割が二つあり、一つは自然の掘りかと思われま すが、一つは明らかに人工の堀で各地のこの時代の山城と共 通しています。山上には本丸、二の丸かと思える跡があります。

22 稲荷宮 享保10年〔1725〕建立 

23 水神宮

24 松原湖観光案内所 《キャリフールセンター》
 

三寅剣 小海町文化財指定     松原湖観光案内所 資料室にてレプリカ展示
  

この剣は、代々神官の家系であった松原の畠山理介氏宅に 受け継がれてきたものですが、平成6年に行われた奈良大学 教授水野正好氏を代表とする調査検討委員会の鑑定で、7世 紀末から8世紀に制作されたものです。

聖徳太子の剣として知 られる国宝『四天王の七星剣』にも匹敵する国宝級の剣という 結果が出て一躍注目を集めています。剣は仏像や梵字・ 星座の模様を刻んで金銀をはめ込んだ『象 嵌』と呼ばれる技法でつくられています。

 三寅とは、中国の古代思想に言うトラ・ ヒョウ・ネコのことで、『人を害する三寅 を収める力を持つ剣』との意味が込められ ており、魔よけの剣として用いられたと 推測されています。 どのような経過でこの山深い松原湖畔 にこの剣が伝えられたか謎とされていま すが、

 ◎ 足利氏の重臣だった伴野氏の郷社だったので、伴野氏の手でここに奉納された

 ◎ 三重の塔を造ったとされる源頼朝の重臣だった畠山重忠 によって持ち込まれた

 ◎ 武田信玄の正室の三条夫人は後奈良天皇の勅命で武田家 に嫁したと言われ、夫人が護身用として京都から

   持参したものが寄進された、などの諸説があります。
 

日本最古の石棒 小海町文化財指定     松原湖観光案内所 資料室にて展示
  小海町穴沢遺跡出土 縄文中期初め

25 入沢達吉顕詩碑 

26 句碑 玄川  
    はるがきた  入沢山に つげにけり

27 大成宮 〔万世太平弥栄神社〕
  平成16年建立
  祭神 実国固遠都御祖大神、いざなぎ、いざなみの命 

28 磨崖仏
  この崖面に刻まれた仏像を磨崖仏といい、神光寺への道標です。

 阿弥陀信仰の象徴として親しまれてきたもので、佐久地方では最大の磨崖仏で、貴重な文化財です。 

29 奉納経百八十番供養塔

30 寒念仏供養塔

31 神光寺跡 小海町文化財指定
  

寺跡は藤嶋にあり、明治初年の廃仏毀釈によりこの地方で はまれな廃寺となりましたが、当時は三重の塔〔いまは前山
の貞祥寺に移築されている〕も備えたこの地方では大きな寺 院でした。開山は慈覚大師により天長3年(826)と言われ 初 代法印の覚傳が没した年は承和5年 (838年)だったと伝えられており、 以後廃寺まで七十九世の住職が記さ れていますが、不明の部分も多くあ ります。経緯は不明ですが、ここで 使用されていた「やかん」が現在、 北牧小学校に保管されています。

32 芭蕉句碑
  雪ちるや ほやのすすきの か里のこし

33 宝篋印塔 小海町文化財指定
  本来は経典を納めるための塔でしたが、供養等、墓碑塔として建てられるようになりました。

  寛永16年(1643)の建立です。

34 うずら取山
  妙見宮 金峰山

35 鷹野つぎ文章碑 小海町文化財指定

  『信濃の春は短いと私は思う だが深いそして非常に清新 である たとへば暁の目覚めのひとときのやうに 衰弱のあとの健康のやうに』

36 十九夜塔

37 石憧六地蔵 宝珎基盤

38 畠山氏墓地群の中
  

水神宮、(享保14年)稲荷宮、妙 見堂、戸隠山社(明和6年)いずれ も石宮

39 不動山 稲荷宮 石宮3基

40 石造り観音