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畠山重忠と松原湖

畠山重忠と松原湖のイメージ

【畠山重忠と松原湖】

畠山重忠公(源頼朝に1番?信頼されていた埼玉県深谷市畠山に住んでいた家臣)は、松原湖に深い繋がりがあります。松原には「松原湖と龍伝説」と言う伝説があり代々言伝えられております。

■松原湖伝わる龍伝説■

『むかし源頼朝がライ病にかかったとき、龍の生き肝を飲めばよいという神のおつげが夢に現れた。そこで頼朝は、畠山重忠に龍の生き肝を取って来いと命じた。重忠はどこへ行けば龍がいるかわからないので困ったが、これもまたある夜の夢に信州松原湖に住む龍の生き肝をとるがよいと教えられた。重忠はすぐに出掛けて、松原神社から弁天島へ下る大弥太坂で母に行き会った。重忠は母に頼朝の命を話すと「私が湖の中に入って、蛇体となるから肝をとって主君に奉れ」と言って入水した。たちまち水面に水柱がたったと見る間に、大蛇の姿が湖上に現れてた。重忠は今はもう躊躇する時ではないと、ついにこれを殺して生き肝を取り頼朝に差し上げた。頼朝は病気がたちまち治ったので、長湖湖畔の神光寺の境内へ重忠の母のために5重塔をたてて供養したという。また頼朝の病気が治るよう、重忠の母が松原湖の主の龍に身をささげて祈ったから頼朝の病気が治ったのだともいう。』

 

大弥太坂

大弥太坂

畠山重忠母の墓

畠山重忠母の墓

この言伝えは有名なお話なのですが、松原への繋がりはもっと深い所にあります。

畠山重忠公の子供は11人おり、重忠公が北条氏に謀反の疑いを掛けられ、二俣川で長男と共に討たれ、家族散り散りに逃げ、11番目の子供「松尾姫」が松原へ来ました。

系図

系図

現在でも松原の半分は畠山で、明治時代頃まで上社神主は畠山が行なっており、畠山では代々男の子には名前に「重」や「忠」の漢字を使ってました。

長湖湖畔に建てられたと伝う五重塔は、江戸時代後期に火事に遭いました。直ぐに再建されましたが明治初頭の神仏分離令により、寺そのものが廃寺になってしまいました。その後佐久の貞祥寺へ移築され現在も見る事ができます。

佐久にはその他に源頼朝の建てたと伝わる建物や寺があります。

そんな畠山重忠公の愛した松原湖。ぜひその思いを馳せて見てはいかがですか?

松原湖畔 立花屋 鷹野圭太